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後だしじゃんけん

 今回の原発大事故に限らず、先の大戦後のときでもそうであったが、国民が塗炭の苦しみを舐める事態に立ち至ると、「だからあのときこう言った。」とか「こう書いた。」という人が必ず表れる。

 結果についてだけの非難なら何だっていえるが、そうなってしまた経緯は度外視される。

 しかしながら、その時点時点で、費用とか効果とか諸々の検討をして判断し選択した結果であったろうから、今更ここで言い募っているばかりでは何も解決はしまい。

 世に知られることもないまま、そこに使命感をもって命がけで尽くしている人の実情を知らずして文句ばかりは言えない。

 

 万里の長城とまでいわれた防潮堤が、無残に破壊されてしまったとはいえ、無かったらどうなったのかとか、原発の施設だって根こそぎ破壊されていないとしたら、一定の安全装置は働いたのだとかも思う。断っておくが、だから許されるといっているのではない。

いつ来るかわからないものに備えて巨額な予算を裂けないというのも、そのときそのときの判断ということであろう。

 

 そうした判断の結果、多くの人が作為無作為で容認しできあがった物の、恩恵ともいえる利便性を現に誰もが享受してきていたのである。

 

 度々申し上げているのは、起こってしまった事実に対し、いかにその大被害から復興するか。そのために最善の手立てとなる智恵をどうすれば得られ、どのように大儀ある道筋を明示して実行していくか、ということであり、今のままでは非常に心もとないということである。

 智恵を集め実行していくために結集された権限を振るうに、信頼できるリーダーは誰なのか?

 

 放水の手段であれ無人ロボット或いは遠隔操作による瓦礫除去の機会であれ、後になれば続々出てきているように思える。知っていた人は居た筈だけれど、生かされなかった。

 

 官も民もない。

 そういう的確な手段を集める能力を持つ人、青写真を明確にして行動できる人の掘り起しができるのは、厖大な資料を持つ大マスコミであろうから、そこに働きを見い出し、民意の方向性の材料を示して欲しいと切望するのです。ことは焦眉の急です。
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恩恵に浴して

 電力が不足して、今まで如何に電気の恩恵にどっぷり浸っていたかがよく解ります。

1KW時100円ともいわれる安価な電力が供給されていた背後には、原子力発電所の近くに住まれる方々のお陰もあってのことであるから、使い放題だった誰にとっても他人事ではない。

 さんざんお世話になっておいて、原子力反対と口にするのでは、危険と隣りあわせでいた地元の方々に顔向けができないと思う。

 祈るしかないのだろうか。

 

 大震災のとき高速で運行中であった80台を超えるとも聞く新幹線に、1台の事故もなかったという技術力は、原発にもその安全対策としてなされていたのだと思う。

 想定外の規模であったという言葉を軽々しく口にはできないが、初動時の対応がおくれてしまったということも含め、人のやることの限界というのはあるのかも知れません。

 

 原発を新たに稼動させることは非常に難しいと思うが、必要なエナルギーとしての電力量を確保するには、コストを度外視しての国策的対応が早急に迫られる。

 地熱であったり風力であったり水力であったりメタンハイドレードであったりするのでしょうが、今までのように安価な電気代でというのは望めまい。

 コンクリートから人へとばかり言ってもいられない。

 何かが提供されるということは、それに到るまでどれほど多くの支えがあってのことなのかということに、今更ながら気づかされています。

よしだけんこう

 健康奉仕(兼好法師)じゃないけれど、長生きすればば恥多しなんてことにならないように努めなくてはならない。

 間引き運転で混雑する電車に揺られて体力を消耗するから、自己管理をきちんとして健康に留意することも、自分でできることのひとつ。

 丈夫であれば、人様のお役にたつことだって増える。

 車内マナーだって、一人ひとりが気をつければ、お互いの信頼感や連帯感を生む。

 だれかがやることだとおもっていることは、だれもやらないから、自分がなるべく迷惑をかけないように、身近で些細なことであっても慎むことが和やかさを醸成する。

自分ができること

 物というものは、奪い合えばいくらあっても足りないが、譲り合えば余るのだとか。

必要最小限のものがあればよいということを言いたいのではありません。余裕がなくて文化が発展するということはありませんし、ある種の欲というものがあって、それを満たそうとする努力が、人類の生活を豊にしてきました。

 ただ、貪ることとか自分だけが独り占めするということには、反省の余地がある。

 

 中学生が投書していました。

 中学1年のときから貯めていたお小遣いを、全額募金箱に寄付したのだそうです。

 その後、募金を呼びかけるのを街角で目にするが、もう寄付する余力がない。これからは、自分ができることを探してやっていこうと思っていますと書かれていました。

 

 この、自分にできることというのは、誰もが等しく自覚したのではないかと思います。

 寄付であったり、ボランティア活動であったり、救援物資であったり、節電や倹約であったり、経済活動を途切れさせないために働くことであったりです。

 むかし、日本の親たちは、世間様の目ということを子供に教えました。それは、客観的に自分を見るということにも繋がり、自制心というのを涵養したように思います。

 自分にできることとは、1っ歩先を思いやるということにつながります。

 

 私は、ビルメンテナンスを社業としていますから、契約先のゴミ処理も仕事に含まれます。

人によってなのですが、捨てるときに自分で資源ゴミと可燃ゴミその他分別してくれる人もいますが、そんなの金を払って委託してるんだから業者がやるのが当たり前だと、ごちゃまぜに放り出す人もいます。

 捨てるときに分ける手間は僅かなものでしょうが、後から分別するのは余計な手間と時間を要します。

 卑近な例ですが、ちょっと先の人のことに配慮するというのが、自分にできることの始まりのように思えてならないのです。一事が万事ということです。

 人間性の豊かさとは、そんなところからはじまるのではと・・・

智恵を集めて!

 伝わってはこないが、立場立場で一所懸命やっているのは確かだと思う。口に出して言えないことだって、非常時にはあるに違いない。

 しかし、いかんせんバラバラに動いていて、統括され集中的になされているとは思えないので、

いろいろ意見を言う人が出てくるのだと思う。

 

 官民を問わず、散らばっている原子力・救援復興・防災のエキスパートを集めて専門家会議というか賢人会議というのを早急に立ち上げたらどうだろうか。

 そこにはあらゆる情報を集中し、最善の対応策を構築して直ちに実行に移すことができる権限を付与する。実情を全て公表しなくても良いということにして、混乱も防ぐ。

 

 TVなどを見ていると、各局が囲い込んだのかどうか知らないが、専門家が出てきてそれぞれに解説しているが、それぞれにニュアンスが当然のことながら異なっている。

 そういう人たちも会議に召集して、統一見解を打ち立てるのが良い。

 

 前にも書いたが、節電の折に大電力を消費して各局大差のない報道をバラバラにするのではなく、数局に絞って或いは持ち回りで報道するという方法だってあるように思える。

 取材記者自身がいみじくも漏らしていたが、取材に行って嫌がられているとも聞いた。

 

 阪神淡路大震災のときは、ボランティアの人たちが大阪から日帰りで現地に入れたので、大勢が参加できたのだというが、今回の大震災は余りに広範囲の地域に及ぶため、自身への補給も続かないから簡単には現地入りできないという。

 こういうときこそ、兵站のプロである自衛隊に権限を与え、救援のための拠点づくりを要請したら、救援活動に参加しようとする人たちだって動きやすい。

 無償のボランティアのほか、失業保険を援用することにしたら、使命感を新たに得て働く人たちだって現れるように思う。

 

 非常時に立つ国士だって、埋もれたままになっているに違いない。

 自分がいままで批判してきた手法をそのままやって信を失った人の下では動かないから、思い切って選びなおして、一致協力できる体制を整えるのだって、このままずるずる行くのより良いと思う。

「一度やらせてみたらどうだ。」という無責任な選択がもたらしたツケは、取り戻さなくてはなるまい。

放射能・放射線・放射性物質

 原発先進国である日本の筈なのに、地域も国民も基礎的な知識が徹底されていない。

ただただ喧伝される数値のみが一人歩きして、不安が不安を煽る。

 

 核分裂によって飛び出す中性子や電磁波などを「放射線」と呼び、その放射線を出す能力を「放射能」といい、放射能を持つ物質を「放射性物質」という。

 このくらいは、素人でもわかる。

 

 放射性物質で汚染された水やホウレンソウを摂取することで起こる被曝の危険性をどう捉えるかということになるのだが、被曝で被害を受ける量は、シーベルトで表される。

 人体の許容範囲が何シーベルトなのかも、暫定暫定というだけだから、どこまでならいいのかわからないが、100ミリシーベルトと言ってみたり250ミリシーベルトと変えたりするけれど、どうも急にどうこうということでもなさそうに思える。

 一方、ベクレルという単位もこのところわけもわからず耳にする。

 ベクレルとは、物質が放射線を出す量のことだといい、放射性物質ごとに決まっている係数を掛けることで、シーベルトに換算されるのだとか。

 

 臨床その他、被曝に造詣の深い先生方の説明を聞いていると、馬ほど食い牛ほど飲み続けるわけでもあるまいから、直ちにどうこうなってしまうということではないらしい。

 原発で命がけの人たちに較べたら、もののかずではあるまい。

 

 解らない人がでてきて判らないことを言い、報道に携わる人も自分の不安が先に立った質問ばかりをするから、余計に混乱しているように思える。

 この際だから、きちんと広報するなり勉強しなおすなり、自分でも選択や判断できるようにする必要性に迫られているのではないか。

 

 放射能が怖いというけれど、何日経ってもカビもしなければ腐りもしない、食品添加物だって恐ろしいことなのではないのか?

 昔、われわれが育った時代には、食べ物の臭いを嗅いでみたり、糸を引いていないか見定めたり、口に入れてみて酸っぱいかどうか確かめてみたりして、自分が食べるかどうか自分の責任で決めた。

 判断の基準になる知識が備わっていれば、不安にかられて右往左往することは少なくなる。

水騒ぎ

 乳児を預かっている保育所に、ペットボトルを1本持った若者がきたのだそうです。

「僕は、前に買ったボトルが2本あって、自分は1本あれば十分なんでこの1本は使って下さい。」と言って名前も告げず立ち去ったのだそうです。

 

 レジに水を求めて並んだ客の中に、一人2本までと制限されているのを不満として、大声で「金を払って買うんだから、ケースで売れ!」と叫んでいた男がいたのだそうです。

 誰もが眉を顰めているばかりで、たしなめる人がいなかった処に通りかかったオバアサンが、「あさましいねえ。」と声をあげた途端、その男はおとなしくなったのだとか。

 

 それにしても、必要な人を慮ることなく、我先に買占めに走る人が多い。

 暴力を使って奪い自分の物にするのを「略奪」といいますが、金にものを言わせてそうするのだって、形をかえた略奪といえる。

 

 わけのわからない人が出てきて、曖昧なことを言うから不安を煽るのかも知れない。

 専門家が出てきて、現状と対処方法を説明すれば、沈静化することも多いのでは・・・

 

 通りすがりの庭に、コブシの花がほころび始めていました。
kobusi

 陽だまりには、雑草と一括りされるホトケノザとヒメオドリコソウが咲き誇っていました。

義理と人情

 義とは、一定のルールの中で、掛けたものを補うというような意味であり、理はことわり。

今は義理も人情もごちゃまぜで、善意がものをスムーズにしているときです。

 

 ガソリン事情がよくなってきたといので、諸人の迷惑を考えて歩くことにし、今まで乗らないでいた車に給油しに行った。

 幹線道路は混んでいるし急ぎの人もいるだろうからと、地元だからいつも通っているわき道に入りました。

 ところが1台の車が道を塞いでいて通れない。クラクションを鳴らすと、家の中から因業そうな爺さんが元気よく飛び出してきて、ここは私道だから引き返せという。

 どう見たって公共の金が出て出来た道であり、いつも通れている道である。

 道路事情を考えたら、譲り合うという気持ちになるのが普通の「人間」だと思うが、こんな因業な爺さんと話したって無駄だし、因業が伝染するのは真っ平ごめんだから、バックした。

 

 世田谷に住んでいたときの家の前の道も当家にかかる私道であったが、一般人が一人でも通り、1台でも一般の車が通れば、そこは公共性が高いものとしてイジワルをしたことはなかった。

 

 こんなときでも、動かすのにさして手間隙はかからないのに自分のことしか考えない人がいるのが情けなかった。

持ち場持ち場で職責を果たすということ

 政治家は、寄付行為をしてはならないのだという。

 しかし、できないのだということではない。

 タイガーマスクではないが、匿名ですることなら窓口はいくらだってある。現に民間人は、名前もでない募金箱にそうしている。

もとより、寄付行為をしないのが怪しからんという心算は毛頭無い。それにも増して立場立場でできることを一所懸命しなくてはならないのだと思うのである。

働きとはそういうものだと思う。

 

 橋 幸夫氏が新聞に投書したというけれど、政治家達の顔が一向に見えてこないもどかしさからなのだと思う。

 確かに、シミ一つない作業着の襟をたてて、顔だけ渋面をつくっても、訴える力はない。

 

 政治主導か縄張り意識か知らないが、ハイパーレスキューの放水車が緊急で馳せつけたのを、必要ないといって返してしまった結果、初期の対応が遅れ、被曝の危険の中で命がけの作業をしなくてはならない事態に立ち至ったとも聞く。

 行政にも民間にも、有効な手立てを講じることのできるノウハウがあるように思える。

 それらを如何にして結集し、ことにあたるか。駆け引きでは動くまい。

 

 過ぎてしまったことを今更とやかく言ってもはじまらないが、民は、いま携わっている仕事を通して経済を発展させねば、復興のための力になれないと頑張っている。

 節電のために電車が動かなかったときでも、誰もがみな工夫して、あるいは長時間歩いて出勤している。自らの務めを果たす為に・・・

 電車が止まって大変だったのにも拘らず、「皆が言うことを聞いていたら何もできないんだから、強権をもってそうしたってヤムを得ないんだ。」と、大変な思いをした人ほどそう言っていたのが印象に残っている。

 大儀名分の立つ方策を提示して、総力をあげる時期を早めなくてはならない。

発想の転換

 被災地での避難所生活を余儀なくされている乳児を抱える母親達の苦労は、想像に余る。

母乳で育てているひとはまだしも、哺乳瓶でミルクを与えている乳児に感染症がおこっているのだといいます。

 哺乳瓶が無いので、消毒もままならない状態で、壜の使いマワシをしている結果だといいます。

 胸が痛くなる話しです。

 援助の物資が行き届かない場所に止まるのでは、そうなるのが想定できる。

 事情は多々あると思いますが、せめて乳児を抱える母親達を、被災を免れた地方の施設で受け入れる体制を構築することはできないのか?と思っていたところに、友人から転送されてきた記事があります。

 以下に、その全文を転載させていただきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ちょっとした付き合いのある作家の高嶋哲夫さんからのメルマガに、じつにユニークな被災者支援のアイデアが引用されていたので紹介します。
 高嶋氏は、もと日本原子力研究所研究員だった作家で、『メルトダウン』とか『原発クライシス』など原発にからむ作品や、『TSUNAMI』『東京大洪水』など大災害を描いた作品を数多く書いています。
 そのアイデアというのは……。

阪神大震災で被災し、旅行業界に在籍しているものです。
本当に何かできないのか、国の対応も含めいらいら感ばかりが募る毎日です。

現在、現地ライフラインの修復に時間がかかり、被災者が凍える寒さの中
苦労している姿を見るにつけ、何とか国が支援して、全国の空いている
ホテル、旅館にしばらくの間移動させてあげることが必要と思います。

物資の供給が目詰まりを起こしている現状、現地に物資を送るのではなく、
被災者を安全な場所に移動する逆転の発想・処置がどうしても必要となります。

今の時代にこの状況を放置し、被災地で今後死者が増えることを見過ごすことは、
あまりに残酷で、許せることではありません。

全国で空室のある旅館・ホテルは山ほどあります。
一泊5,000円ほどで30万人を収容しても一日たかだか15億、10日間ほどでも
150
億もあれば皆が助かり、経済も活性化します。

この点、旅行業が果たせる役割は大きいと思います。
業界全体の力になればもっと費用も抑えることができるはずです。
また、その間に、現地のインフラを整備することに自衛隊等も専念できるはず。

この点どうしても、業界のみならず、国、自治体の決断が必要です。
賛同する人がいれば大きな力になると思うのですが、、、。

汚染と被曝

 普段使い慣れない漢字を使うときは、間違いを犯しやすい。

 放射線を被爆したと書いたら、家内にその場合は火偏じゃなくて日偏なのよ、と言われた。

漢字には強い方だとおもっていたけれど、1本とられました。

 「汚染」とは、放射性物質が身体に付着することで、(埃がつくのを想像して下さい)
「被曝」とは、放射性物質からでた放射線を、身体にあびることを指します

 

 起き上がったサイが小屋から出てきたばかりのような出方をして(うまい表現をする人がいるものです)、ぼそぼそと回りくどく、良いんだか悪いんだか判らない説明をするから疑心暗鬼を呼び、不安を煽り立てる。

死なばもろともの気概や姿勢をもって、誰もがことに望むということも必要なときなのではあるまいか。

 

 長崎で原爆の被曝をされたという方の話を聞きました。

 他所に移住するというてだてもとれないので、ここに生活の基盤を置こうと決意したのだと言います。

 以来、ホウレンソウもそこで育てて食べたし水も飲んで暮らしてきた。

 現在90歳を越えたが、元気でいる。

 

 情報を発信する立場のひとは、不安を煽り立てるようなことばかり言うのではなく、皆が自分で判断し行動できるような選択基準を示すことに意を払わねばなるまい。

にべ

 カンチガイといってしまっては「にべもない」ことになる。というような使い方がされるニベ。

 

 ところで、ニベもないというのは愛想もないとか世辞もないとかの意味に使われますが、ニベとはそもそもは鯉やウナギの浮き袋から作るニベ膠(にかわ)のことで、粘着力の強い接着剤であります。

 

 今回の大震災を通じて、地域や家族親族・友人知人などが寄り添って、お互いを思いやり、協力して助け合う感動的な姿を、枚挙にいとまなく目にします。

 戦後、個人主義や物質文明にに馴らされ、自分以外とのかかわりを避けて当たり前の風潮に流されてしまったのかと思っていたら、子供も若い人も大人も年よりも、実はたとえ初めて会った人に対してでも、気遣いができる人たちであったのだと思い知らされる。

 こんなにいい人たちが集まった国だった!のだと。

 ニベより強いのが人の心。血は水よりも濃いなどということを遥かに超える。

 

 子供のころは、工作のとき瞬間接着剤なんてのがなかったので、強く貼りつけたいときには押し糊やニカワを使ったものでした。

 そして、それよりも強いつながりが、良いワルイは別にして世間に色濃くあったことを思い出します。

ありがとう

 何もなくなってしまうと、あるものに感謝できる。

 そこに働いた人たちのことにも、自分のことをさておいて気遣いができる。

 被災地の中学校の卒業式を見ていて、猛省しました。

 

 年端もいかぬ中学生が、卒業式をしてくれた先生方や父兄地域の人たちに感謝し、原発で命がけで働いている人たちに思いを致してインタビューに答える。

 命からがら身一つで助かったひとが、次に心配して口にするのが知人の安否。心配しているであろう人を気遣って「自分は大丈夫だからね。」とだけ避難先のTVで伝える。

 

 混乱のなか、なにもかも上手く手を打つというのはできないかも知れないが、どこにどのような報道をするのが良いのかということに視点をおいて、安心と希望を持てるよう力づける動きというのが求められる。

福島の方から来たと言ったら、旅館で宿泊を断られた。放射能汚染を心配してのことらしい。

ホウレンソウが、全く売れないらしい。私は、有難く食べた。

大多数の人は

一杯の味噌汁に「有難い。」と泣いて感謝する姿に、日本人の真髄を見る思いがした。

物が足りないときに、本来の善が顕れる国なのである。

 

被害が軽微であった東京でも、大多数の人は大震災の被害を決して他人事とは思わず、自らを律して自分が何をすべきか、或いは何をしてはならないかを判断して行動しています。

 もし、都民全員が買占めに走ったりガソリンスタンドに殺到したら、混乱は目を覆うばかりの惨状を招くであろうことは、想像に難くない。

 節電だって、一人ひとりが最小限の電力消費にとどめるように努力している。

 そんなの当たり前だと言ってしまえばそれまでだが、自分で判断してそうしているところが、日本人を信じられると度々書いた所以です。

 

 中には、自分さえよければという自分勝手な行動をする人もいるが、我に返ったり教えられたり気づかされたりすれば、本性がそんなに悪い人たちではないと信じる。

 

 だから、マスコミの報道の仕方は考えなくてはならないとも書いたし、信を失墜してしまった政治家は、その信を回復するために何をすべきなのかに思いを致さないと、何事も動かないとも書いた。

 信頼関係を構築できれば、物事は一気に動く。それは、目先の駆け引きや思惑やパフォーマンスからは決して生まれない。

 決死の努力をしている自衛隊員や警察官その他の方々への感謝へも、言を寄せねばなるまい。

 

 信じあえれば、戦後の焼け野原の中からたった19年で東京オリンピックを開催できるまでに復興することができた国なのである。

 当時と比べたら、桁違いの基礎力があるのだから。

希望の芽吹き

 私の育った信州では、雪が融けてしばらくし、濡れた黒土から湯気がゆらゆら立ち上る頃を迎えると、地面を割って水仙の芽が出てくるのであった。

厳しい冬を乗り越えてのそれは、子供心にも再生の息吹のように思えて、見つけると嬉しかったのを思い出します。

 

今朝、新潟の地震の援助金がついているということで以前に購った佐渡百合の芽が顔を出しました。 
yurinome

つもり寄付

大震災の復興のためには、厖大な資金がひつようになることに疑いは挟まない。

諸方に、援助のための寄付金を求める活動や窓口ができている。

いろんな団体や集まりの名義での寄付をしようとというのはわかるが、その全部にということになると数が多すぎて、どこにどれだけと迷うし悩む。

何か購入するための寄付であるとか、限定された地区へのものであれば、できる限りの協力をすることにさほど悩みはしないのだけれど・・・

 今回の場合は、広範囲な地域であり一時的な寄付でことが収まるというような規模ではなく、長期にわたる支援が必要であろうから、息長く続ける覚悟もいる。

 

 不況が長く続いて、みんなの経済状態も疲弊している中、買い物のたびにお釣りを募金箱に入れたり、やる予定だったことを取りやめてそれに見合う額を寄付したりと、生活のやりくりのなかでそうしている人が沢山います。

 議員さんの中でそうした動きをした人がいるとは、やっている人はいるかも知れませんが、寡聞にしてしりません。

 まず隗より始めよとは、こういうときのことのように思えるのです。

 

 面を侵して強力なリーダーシップを発揮するためには、いままでのごまかし体質で(言いすぎかも知れませんが)信を失ったトップでは、非常に心もとない。

 この際、党利党略をはなれて全議員がこの総理のもとに団結しようという挙国一致内閣を緊急に選び直すのがよいのではないかと愚考します。

 

 民は頑張っています。しかし、頑張るとは、そもそも長期にわたってその状態を維持するという意味ではないのだとか。

 このようなときには、自我を主張しあっていたのでは何事も達成できないのですから、目的を定め、小異をすてて大同につく大儀を打ち立てねばならないでしょう。

笑えない話 その2

ホタルの光窓の雪と歌う時季だが・・・

 

 計画停電がされるというので、灯りを求めて灯具を買いに走ったが、懐中電灯はおろか蝋燭1本すでになかったお母さんが、子供のママ友に会ったので聞いたのだそうです。

 すると、「うちだって何もないわよ。線香だけよ。」と言われた。

笑えないけど思わず笑ってしまった話

 普段滅多に電話したことなどないお祖母ちゃんに電話したら、振込み詐欺と間違われた。

 

 地震のとき、一人で残してきた90歳になる母を心配して大急ぎで駆け戻ったところ、ご飯を食べていた。

「大丈夫なの?」と聞いたら、「こういうときは、体力をつけておかないと。」と答えた。

認識と覚悟とリーダーシップ

 入閣を懇願された野党党首に批判があるとのこと・・・

 別に彼を庇う心算は毛頭ないけれど、そうなってしまったのは後手後手にまわった首相の取り組み方にも一因にあるように思えてならない。

 

 大震災が起こったとき、「この際だから、予算を通して欲しい。」と、予算を駆け引きに使ったあたりから、認識と覚悟にあまさがあったのではなかろうか。

 震災の被害の甚大さは想像を絶するものであったし、リーダーシップの名の下に、対応に追われる原発の視察のためにヘリも飛ばした。

 その段階で国会を召集して、「未曾有の国難である。与党も野党もない。政権にもしがみつかない。挙国一致でお願いしたい。」と言っていたら、衆知が集まったのでは?

 

 原発に注水するために、消防庁では2日目から用意を始めていたという。放水の専門家は事態を予測していても、行政は指示や要請がなくては動けない。

政治主導もよいけれど、現場のノウハウを集める知恵も必要です。

 

 非常時の国難にあたるリーダーは、周りからの強固な信頼を得られるかどうかというのも重要です。

 「この人の為なら死ねる。」というまではともかく、信頼と人望がないことには、いざというときの底力を発揮させることは難しい。

 

 ミニヒヤシンスが咲きました。

 きのう初音を聞かせた鶯の今日は、だいぶ鳴き声が上手になっています。
minihiyasinsu

衣食足りて礼節を知る?

衣食足りて礼節を知る

そうなのだろうか?足りない所でのほうがそうであるのを見せられた。

今回の大震災に遭遇して、考え込んでしまうことが多い。

衣食が足りると、人は不平不満を並べ立て、他と比較して足らないことを他人のせいにして、自分が今あるのは如何に多くの人のお陰に支えられているのかを見落とす。

 

私権は、公共の福祉にしたがう。

公ということを考え直してみる必要があるのではないだろうか。

誰もが利便であったことに馴れてしまって、それを当然とし、自らが成さねばならぬ或いは成してはならぬことに疎かでありすぎたのではなかったろうか。

困難に直面すると、問題点というのが浮き彫りになってくる。

公ということを前面に考えたら、優先順位というものを決めて、誰もが従いやすいシステムを再構築することができるのではないだろうか。

 

 再来する津波の危険の中、命がけで救助活動にあたった方々、被曝の危険を知りながら更なる被害を阻止しようと、使命感に突き動かされて努力を惜しまない方々に、いかに報いたらよいのだろうか。

いまはただただ深甚なる敬意と感謝の気持ちを表するしかないことがもどかしい。

 

 携わった方々が肩を抱き合って、良かったよかったと喜び合えるときが一刻も早く現出されることを、心より祈ります。

小さなことだけど

 昨日昼食を摂りに行ったら、大震災以来顔を見ていなかったウエイトレスが出勤していました。

「地震はどうだった?」と聞くと「もうしっちゃかめっちゃかですとのこと。

 いつまでも休んでいるわけにいかないけれど、津久井湖の奥の方から横浜までは、車を使う以外ないので、申し訳ないけれど給油させてもらいました。

 寒い中だったけれど暖房は切って3時間、震えながら順番待ちをしたのだとか。

「被災地のことを思ったら、寒くない寒くない。」と自分に言い聞かせながら・・・

 

 一昨日の昼食時は、いろんな対応のため、私を残して全員出払ってしまったので、近所のコンビニでお弁当でもと買い求めに行ったところ、おにぎりもパンも一つも残っていませんでした。

 何も食べなかったので、流石に夕方にはお腹が空きましたが、「気のせい気のせい。」と我慢しました。

 

 あるマンションの住人のはなし。

 ごみ集積所の袋の中に、どうみてもパンのように見えるものがあったので、申し訳ないけれど開いてみたら、クリームパンが4個出てきた。

 買い占めたけれど無駄にしたのだと思ったら、こういう人がいるマンションに一緒に住んでいることを、とても恥ずかしいと思った。 

 

 ラジオで言っていました。

 被災者を追いかけて「頑張って下さい。」という言い方はないだろう。

「ともに頑張りましょう。」と言えば同じフィールドの言い方になる。

私もそう思うのです。取材のときに、これだけですがと、おにぎりの一つパンの一つでも渡しながら話しかけたら、どんなに励ましになるか。

 

 プラハ在住の倅の日本の部屋に、カレンダーが貼られている。

 普段気にも留めないでいたけれど・・・
karendar

鬼も出たし蛇も出たか

 先日、大震災の混乱に乗じて儲けることだけを考えたり、自分さえよければという行動は悪鬼の所業なのではあるまいかという記事を書きました。

 

 今度は、蛇が出てきたのだといいます。

 銀行のシステム障害により振込みが出来ないということに付け入り、銀行の行員を名乗って、「特例での支払のためにキャッシュカードを預かる」とする詐欺的手口が発生しているんだとか。

 

蛇の心とは邪の心。

善意で頑張っている人たちや困っている人たちの生き血を啜る吸血鬼のような輩がどうして出てくるのか不思議でならない。

 そんなことをしていると、後生が良くないですぜ。地獄というのはあるのですから。

憚るということ

 昨晩、会合があって集まった社長たちは、それぞれの会社やその社員及び関係者、大事なお得意様の被害状況の把握と対応に疲れがみえていましたが、めげてはいませんでした。

 自分のことをさておいてやらなくてはならないことが沢山あるからです。 

 それでも中の一人がポツリと言いました。

仙台に嫁いだ姪に、今日ようやく連絡がとれた。電話が通じている所まで一山歩いて越えて心配ないと連絡してきたが、様子を聞いてみれば心配ないどころの状況ではない。

 

限られた場所と本人に直接であれば、「本当によかった。」と心から言えますが、大勢の前でそれを言うのは、関係者が助からなかった人もいるから憚られる。

 

TVの取材報道を見ていて思うのだが、疲れきった被災者にマイクを向けて「今のお気持ちは?」だとか「今、何が欲しいですか?」などと無遠慮にほざいている人が中にはいるが、憚るということが意識のなかにないのだろうか?

頑張っている人に「頑張って下さい。」と、かける言葉が励ましになるとでも思っているのだろうか?

スタジオでこうだああだと文句ばかり言っているコメンテーターが中にはいるが、励まし元気づけることが使命感に突き動かされて働いている人たちにとってどんなに力になるか、ということに思いが至らないのだろうか?

憚るということは、相手に何をしてあげるのが一番よいのかということにも繋がる。

腹立たしいことが多いから、ニュースはもっぱら文字情報に切り替えたという友人もいる。

 

車を使うことを憚って、動いている交通機関を乗り継ぎ、満員の乗客に揉まれ汗をかきながら今日も仕事に出かけます。できることをまずやるために・・・

汗臭くなるのを憚り、風呂に入るのを憚り、軽くシャワーを浴びるだけで・・・

涙なくして読めなかった記事

 友人が、仙台の知人に安否の確認メールをしたところ、謝辞とともに添付されてきたという内容が余りに感動的であったので、そのまま転載させて頂きます。

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ちょっと長くなるんですが、今朝、ネットのニュース読んでウルウルした記事を転送いたします。

「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ/定年前に自ら志願

2011316 0455分】
 福島第1原発の事故で、情報提供の遅れなど東京電力の対応に批判が集まる一方、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。
 地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。

 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。
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 思わず、小さいころにテレビにかじりついて観ていた「宇宙戦艦ヤマト」の2番の歌詞が脳裏を駆け巡りました。
 ところで
 歌はすっごい覚えていて今も歌えるんですが
 ストーリーが全然思い出せなくて、ネットで調べたら
 まさしく、放射線で汚染された地球を救うために、イスカンダルに放射能除去装置を 受け取りにいく
 という話だったことを知り、びっくりしました。

 ちなみに、2番はこんな歌詞です↓

 さらば地球よ 愛する人よ
 宇宙戦艦ヤマト
 地球を救う 使命を帯びて
 戦う男 もえるロマン
 誰かがこれを やらねばならぬ
 期待の人が 俺たちならば
 銀河をはなれ イスカンダルへ
 はるばるのぞむ 宇宙戦艦ヤマト

 ではでは・・・

貪瞋痴(とんじんち)

貪欲と怒りと愚痴の三毒のことです。

 

 交通渋滞は、たった10パーセント車が路上に増えることで起こるといいます。

 ガソリンを求めてスタンドの前に延々と何キロも続く車輌が、交通渋滞を助長しています。

本当に必要に迫られて給油しなくてはならない車ばかりではないようです。

 

 スーパーマーケットの店長が言っていました。

 商品は通常通り入荷しているので、いつもの量の買い物をして下されば、商品がなくなることはないのですが・・・と。

 

 必要以上に欲しがるのを貪欲(むさぼりの心)と言います。

ちょっと譲り合うとか、必要な所への配慮をすればスムーズに廻るのに、何か起こるとわれ先に自分のことだけを考えての行動に走ってしまうのは、ある意味わからなくはないのですが、冷静に判断すれば避けられることのように思えます。

 こんなときこそ、マスコミその他報道に携わる人たちの見識と、正確な情報が求められるのに、

変に煽り立てるようなことを言っていないだろうか。

 悪意がそこになくても、影響力がどのように及ぼされるであろうかとの観点がなくてはならないと思うのです。 

頂いて嬉しかったメール

大地震の前にお願い事をした方があったのですが、お仕事柄お忙しいであろうと連絡を差し控えていたところ、逆にお見舞いと長文の情報を頂いて恐縮した。

 海外の人の評価が嬉しく感じましたので、以下に全文を転載させて頂きます。

 

ご家族、ご親族、地震の影響は大丈夫でしたでしょうか?
自然の恐ろしさ、人間の無力さ、民主党の無能さを改めて感じました。
その反面。日本人の礼節さ、倫理観が世界中から賞賛されているそうです。
以下は韓国紙の引用です。

「朝鮮日報」11/03/15
日本人の市民意識

 韓国語も満足にできない私の娘が日本で暮らし、3歳のときに習った言葉は「順番」だった。この言葉を教えてくれたのは保育士ではなく、同じ年ごろの子どもたちだった。滑り台で遊びたかった子どもたちは、先を争うことなく「順番、順番」と言って列を作り、自分の番を待った。われ先に滑り台で遊ぼうとしていた私の娘も、いつしか「順番」と言って列に並んだ。
 日本の母親たちは「他人に迷惑をかけてはいけない」という言葉で家庭教育を始める。地下鉄では終日「足を組んだり伸ばしたりしたら、ほかの人の迷惑になります」という案内放送が流れる。『菊と刀』の著者ルース・ベネディクトは「日本人は他人が自分をどう見ているかに敏感だ」と語った。他人に配慮し、自分は節制する「修身文化」だ。47都道府県は「迷惑防止条例」を定め、他人にひどく迷惑をかける行為を法的に禁じている。
 200911月、釜山で起きた射撃場火災で10人の日本人観光客が命を落としたときも、釜山を訪れた家族たちは泣き叫ぶのではなく、沈痛な面持ちでひざまずき、むせび泣いていた。自分の悲哀を表に出すことすら、他人に迷惑をかけることだと考えているためで、日本では葬儀も静かに行われる。
 11日の大地震で日本人が示した配慮と市民意識に、世界が感嘆している。外信各社は日本人の忍耐と秩序を「人類精神の進化」と称賛した。足を痛めたけが人は、救助隊が到着すると、申し訳なさそうに「私よりもっと大変な人がいるんじゃないか」と尋ねた。生活必需品が不足しても略奪の事態は起こらず、スーパーの前には数百メートルもの行列ができたが、割り込みはない。東京電力は、14日から地域ごとに輪番で電気を止める計画停電を行うと発表したが、当日午後まではそのまま電気を供給していた。地下鉄各社が運行を制限し、市民が家庭や職場で節電に務めたからだという。インターネットユーザーは「パチンコや遊興業の社長さん、少しだけ我慢しよう」というメッセージを送った。
 避難所にいた女性は「夫と連絡がつかない」と痛切な救助要請をする際、絶叫するのではなく頭を下げた。道路が寸断され車が通れない仙台市では、今でも市民たちが青信号を待って道路を渡っている。公共放送のNHKは興奮することなく、ニュースと避難情報を速やかに伝えた。日本人は今、こみ上げる血の
涙をこらえ、驚くべき精神で試練に耐えている。

チェーンメールに等しいこと

 TVで、スーパーの米がなくなった棚を大写しにしていた。

 

 ちょっと待ってくれ。

 ついこの間まで、米余りの問題を報道してたんじゃないのか。

 冷静に自分で判断すれば、それは一時的なものと判る筈なのに、必要以上に買いだめをすることを煽っているのに等しいではないのか。

 無分別に買いあさった結果、いずれ無駄にすることが目に見えるから、情報というものは慎重でなくてはならないのに・・・

 現実に食糧不足に悩む国や地方に相済まんことになるのではないだろうか。

時節柄を考えたら

 ここにこて、ようやく通話事情が回復してきましたが、何日か前までは携帯電話も固定電話も飽和状態で、緊急の連絡であっても繋がらないで困りました。

 

 そんな中、繋がった携帯電話で愚にもつかない話を大声で長々やっている人がいかに多かったことか。

 被災地との緊急連絡が必要な方々の回線を無駄に塞ぎ、困っている人たちの迷惑になっているとの意識というのが皆無というのが情けない。

思いがいたらなかったのだとしたら、なにをかいわんやということになるが、そういうことに早く気づくようになってほしいものだと心底思った。

 

若い学生さん達が自発的に集まって、街頭で声をからして救援のための募金活動をする傍らを卒業式なのか着飾って歩いている女子大生らしき群が通り過ぎていきました。

鬼の所業か

 日本が大地震で甚大な被害を蒙ったから、為替は円安にふれるのかと思ったら、日本の輸出企業がドルを円に交換することを見越してこの機に乗じて儲けようとするので、急激な円高基調なのだという。

 まさに病人の生き血を吸うに等しい悪鬼の所業。

 

 スーパーマーケットに行くと、食料品を初め普段あふれんばかりになっていた商品が、いまは殆どないのだという。

 心ある人たちが、少しでも沢山地震の被災地に届くようにと買い控えるのを尻目に、使いもしないものまで買占めようとする人が大勢いるからだという。

 鬼に憑依されたとしか言いようがない。

 

 そんな中で、心温まるニュースもある。

 領土問題で揺れた国の日本大使館に、大地震での死者を悼んで沢山の顕花がされているとか、外国の芸能人が多額の寄付をしてくれたとか・・・

原点に帰るということ

 原子炉のトラブルについて、連日難しい専門的な説明がされておりますが、もれ聞くところによると、本当かどうかわかりませんが、冷却水を送るポンプの燃料切れが原因ではないかとのことを指摘している人がいるのだとか。

 

 パソコンのトラブルのときもそうなのですが、難しいシステムエラーをチャックする前に、周辺機器を外し電源プラグも抜いて最初から立ち上げ直すことで復旧するのはよくあることです。

 

 複雑精密な機械のことですから、どうしても専門的なチェックが先になるのかもしれませんが、

原点に返ってみることも大事なことかも。

 

 重大な被害を防ぐことができますように!

プロフィール

AA3TAKE◎小さな気づきから

Author:AA3TAKE◎小さな気づきから
 
 生きているだけで価値があるのだとも言われますが、この世に生まれた甲斐は、幸せになるということのはず。

 幸せは、顔をそちらに向けねば気づかぬままに通り過ぎてしまいがちだから、これからは努めてよきことを数えてみようと思っています。
心と体が健康であってこそ、正しく美しい気づきが得られ幸せに導かれる。
普段が楽しくあらねばならないのだと思います。

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自分でもできる墓石クリーニング
  成功する人は皆、潜在意識の使い方がうまいのだといわれています。
自分をとりまく動きが全ての場面で変わってくるというインパクトを持ったきっかけとなるのが、墓石クリーニング。
 運が悪いだのツキがないだの言ってるだけで、自分では何もしないのでは、どうにもならないということだけは確かなことです。

bosekibanar5 
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