挨拶し合わなくなった世の中
挨拶を辞書で引くと、
挨拶の「挨」は押す、「拶」は迫る意で、本来、禅家で門下の僧に押し問答して、その悟りの深浅を試すこと。と出ています。
「あい」には、心を開く、「さつ」には、その心に近づくという意味もあるのだとか。
「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」
こんな基本的で簡単な挨拶をすることは、人間関係では当たり前のことだと思うのですが、それがそうでもないらしいのです。
会社や近所や知り合いなど、基盤を同じにしているところはまだしも、面識があっても生活に関わりがないとなると、すれ違っても知らん顔で通り過ぎるということが珍しくもなくなりました。
「知らない人から声をかけられても、相手をしては駄目よ。」と言って育てられた、安心できない社会が現実としてあるから仕方ないのかもしれませんが、他人から信用される第一歩は、挨拶ができるかどうかだという現実も一方にあることを思うと、人としての広がりを安全に保てる社会をどうしたら良いものかと考えてしまうのです。
私の住むマンションでは、エントランスや駐車場で顔を合わせても、殆どの人たちは挨拶を交わしません。私の方から挨拶しても、何人かを除いて、不思議そうな顔をしてソッポを向く人さえいます。
殺伐とした世の中は、こんなところから始まるのかも知れません。
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こんなところから運が開ける
幸せになりたいと言いながら、自分がなにもしないのでは、今の状況が変わるわけが
ありません。
でも、なにをやればいいのかが分からないから、何もしないでいるのが普通。
まず小さなことであっても疎かにしないで、自分でできることはやってみる。
自分ができることをやらないで先に進むものはありません。
やってみると、今まで見えなかったものが見えてくる。
やると良いとわかっても、やらない理由を見つける名人でいては、なにも変わらない。
綺麗になると気持ちがいい。整理整頓清掃は、基本中の基本です。
気持ちが良くなることが大切だと信じて疑いません。
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私の書いた 小説 「夏風越の(なつかざこしの)」
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進む。
http://aa3take.web.fc2.com/syortstory1.html
取り敢えず、第1部は完了です。
番外編 「白魔」
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番外編 秘剣「寸のび」
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ブログの過去ログ一部(まとめて読みたい方に)
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