基準はあるのだろうけれど
どうにも不思議でならないことがある。
マスコミの報道の仕方や世論への持って行き方が変なのではないかと思えるのです。
伏せてしまって報道しないものも多いように感じるが、その選別はどのようになされるのだろうか?知られるとまずことなのだろうか?
国会の中継を見ていていつも疑問に思うのだが、野党議員はどうしてああも居丈高・喧嘩腰でものを言うのだろう?議論を尽くす場なのだから、冷静に、互いに尊敬しあって話し合えば良かろうにと思ってしまう。
マスコミがそれを窘めるようなことを言うことは無く、どちらかと言えば与党の答弁の言葉尻を捉えて大きく扱うように感じる。
アメリカのトランプ大統領に対する批判などもそうである。日本なのに批判一色である。
確かに報道されることだけを聞けば、それはどうかと思うこともあるが、実際に米国内ではどのような評価なのかとか、彼が実績として残した政策はどのようなものがあり、それはどのような成果をあげているのか、というようなことは全くと言っていいほど伝えない。
日本で報道されているようなことだけであったら、いかに米国が自由の国であったとしても、政権は持ちこたえられまい、と思えるのである。
他国の元首のネガテブキャンペーンを日本でやっているようにすら感じてしまう。
それに引き換え、中国や韓国を非難するような報道というのは、まず目にしない。
日本に対してかなり酷いことをやっていても、それは伏せられているように思えてしまう。
金王朝は崩れそうにないし、新たに習王朝が生まれそうな気配だってあるが、それに口を挟むわけにはいくまい。
卑近なところでは、大相撲の暴力事件についてもそうであった。
普通に考えればそれは刑法上は犯罪であり、重傷を負った被害者が擁護されるべきだと思うが、加害者が謝罪に行ったのに会わなかったからと言って被害者の方を悪くいう報道の方が多い。
被害者が加害者に会いたくないと思うのは、どんな事件でも普通なことであろうに。
親方も協会に報告しなかったからと言って批難の的にされているが、警察沙汰になったら、事件が決着を見るまで、当事者が話せなくなってしまうことは多かろう。
協会に報告したら、協会はどのように対処したというのだろうか?
凶悪犯罪が起きたときもそうである。加害者が特定の外国人だとでもいうことになると、未成年でなくても実名報道は何故かされない。被害者の側のことになると、家族も含め顔写真まで簡単に公表されてしまうのにである。何を基準として報道しているのかが解らない。
公共の生活に多大な影響を及ぼすメディアの報道責任は、論を待つまでもなく非常に重い。
ニュースにするには、当然のことながら裏付け取材は欠かせないし、議論が分れるような問題については両論を公平に扱うべきだと思うが、なぜか偏る。
誤報であったことが後に明らかになったら、訂正記事を載せて読者に謝罪すべきだと思うが、滅多にそれをすることがない。仮にあったとしても、気づかないほどの小さい扱いとなり、報道時に扱った紙面の大きさに比べ申し訳程度のものになる。
メディアは権力を監視する機関であると高言するが、それは一体どこから付託されたものだと言うのだろう?
メディアの振う権力をチェックする機関が必要だと思えてならない。
感情的に煽られて、K国のようになってしまうのではないかとの恐れを抱くことすらある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私が書いた小説
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、12月20日、第10部まで書き終えました。
http://www.kng2321-cbs.com/natukazakosino-new.html
童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分は才能・能力はあるし努力も人一倍して頑張っているのに、望む成果が得られていないとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?
人知を超える力に触れることで道を開く方法を探ってみるのが良いと思うのです。
人間だけが墓を作り、そこに花を手向けるということに、何か意味がありそうです。
なぜ自分で墓石クリーニングをすると良いのか
マスコミの報道の仕方や世論への持って行き方が変なのではないかと思えるのです。
伏せてしまって報道しないものも多いように感じるが、その選別はどのようになされるのだろうか?知られるとまずことなのだろうか?
国会の中継を見ていていつも疑問に思うのだが、野党議員はどうしてああも居丈高・喧嘩腰でものを言うのだろう?議論を尽くす場なのだから、冷静に、互いに尊敬しあって話し合えば良かろうにと思ってしまう。
マスコミがそれを窘めるようなことを言うことは無く、どちらかと言えば与党の答弁の言葉尻を捉えて大きく扱うように感じる。
アメリカのトランプ大統領に対する批判などもそうである。日本なのに批判一色である。
確かに報道されることだけを聞けば、それはどうかと思うこともあるが、実際に米国内ではどのような評価なのかとか、彼が実績として残した政策はどのようなものがあり、それはどのような成果をあげているのか、というようなことは全くと言っていいほど伝えない。
日本で報道されているようなことだけであったら、いかに米国が自由の国であったとしても、政権は持ちこたえられまい、と思えるのである。
他国の元首のネガテブキャンペーンを日本でやっているようにすら感じてしまう。
それに引き換え、中国や韓国を非難するような報道というのは、まず目にしない。
日本に対してかなり酷いことをやっていても、それは伏せられているように思えてしまう。
金王朝は崩れそうにないし、新たに習王朝が生まれそうな気配だってあるが、それに口を挟むわけにはいくまい。
卑近なところでは、大相撲の暴力事件についてもそうであった。
普通に考えればそれは刑法上は犯罪であり、重傷を負った被害者が擁護されるべきだと思うが、加害者が謝罪に行ったのに会わなかったからと言って被害者の方を悪くいう報道の方が多い。
被害者が加害者に会いたくないと思うのは、どんな事件でも普通なことであろうに。
親方も協会に報告しなかったからと言って批難の的にされているが、警察沙汰になったら、事件が決着を見るまで、当事者が話せなくなってしまうことは多かろう。
協会に報告したら、協会はどのように対処したというのだろうか?
凶悪犯罪が起きたときもそうである。加害者が特定の外国人だとでもいうことになると、未成年でなくても実名報道は何故かされない。被害者の側のことになると、家族も含め顔写真まで簡単に公表されてしまうのにである。何を基準として報道しているのかが解らない。
公共の生活に多大な影響を及ぼすメディアの報道責任は、論を待つまでもなく非常に重い。
ニュースにするには、当然のことながら裏付け取材は欠かせないし、議論が分れるような問題については両論を公平に扱うべきだと思うが、なぜか偏る。
誤報であったことが後に明らかになったら、訂正記事を載せて読者に謝罪すべきだと思うが、滅多にそれをすることがない。仮にあったとしても、気づかないほどの小さい扱いとなり、報道時に扱った紙面の大きさに比べ申し訳程度のものになる。
メディアは権力を監視する機関であると高言するが、それは一体どこから付託されたものだと言うのだろう?
メディアの振う権力をチェックする機関が必要だと思えてならない。
感情的に煽られて、K国のようになってしまうのではないかとの恐れを抱くことすらある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
私が書いた小説
ある日突然、頭に「これを書け」という声が響いて書き始めた小説「夏風越の(なつかざこしの)」は、書き始めてから年月がかかった。
どう書き進めるのかは、降りてくるお告げに従ってのことであるから、一気に何ページにも及ぶこともあれば、何か月にもわたって一文字も書かないということもありました。
幕末から現代に生まれ変わって、超常現象を介して話しが進むということなのですが、何かが時々降りてきて言われる通りに少しずつ書き進め、12月20日、第10部まで書き終えました。
http://www.kng2321-cbs.com/natukazakosino-new.html
童話 「トイレの神様」・「鬼切丸」・「昔ばなし」・「麦の命」・「猿酒を飲んだ天狗」・「狐のお嫁さん」・「花を摘んでいた少女」ほか、幼児に読み聞かせるのに良さそうなお話を書いています。
http://www.kng2321-cbs.com/douwa.html
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分は才能・能力はあるし努力も人一倍して頑張っているのに、望む成果が得られていないとしたら、何故そんな境遇のままなのでしょう?
人知を超える力に触れることで道を開く方法を探ってみるのが良いと思うのです。
人間だけが墓を作り、そこに花を手向けるということに、何か意味がありそうです。
なぜ自分で墓石クリーニングをすると良いのか
スポンサーサイト