はあるかぶり
はあるかぶり
「はあるかぶり」とは、信州弁で久しぶりという意味であるが、はあるかぶりに友人たちと会ったら、オリンピックの話になった。
勝負は(順位をつけるのは)、速さ、高さ、距離を競うのであれば判りやすいし、そこに疑義は生じ難い。
そうではないものは、そこにはルールがあって採点されるのだとはいえ、主観が入る余地が皆無であるとはいえないであろうから、釈然としないことが起こりがちとなる。
難しい技術にチャレンジするには、採点上のリスクが伴うということであれば、無難にまとめて見場をよくした方が得ということにどうしてもなってしまうでしょう。
人類は、困難と思えることに常に挑戦し、目指す域に達しようと努力してきたから、いろんな分野において進歩した。
努力が報われるということについていえば、判断基準がどのようにあるべきかが大事な要件となる。
一番でないとどうして駄目なのかというのでは、発展ということを最初から投げているに等しい。
続いて、絵画音楽など芸術の話についてであるが、子供の表現する純真さ、即ち自我の主張のないものが人の胸を打つであろうことは確かだが、それだけであれば自然のものをそのまま受け入れてお終いということになる。
それでは、そこから発展する高尚な精神性を、高めたり、又その感動を多くの人に伝えたいと技を磨き精進を重ねるということに意味を見出せなくしてしまうのではなかろうか。
お手本通り形どうりだけのものでは感動をもたらさない。
あれもやりたいこれも表現したい、心に届かせたいと思ったら、そこには常にリスクを伴うが、それでも、自らの精神性を高める為のあらゆる経験を積み努力を重ねてチャレンジするから、そこに感動が生まれるのだと思うのである。
その意味で、ハンデを乗り越えてのものが感動を呼ぶのは当然であろうが、わかりもしないのに上から目線でモテハヤスのは、誤解を恐れずに言えば、少し違うのだと思う。
極みというのは限りなく求めるものであるから、本人達のほうが謙虚なのに・・・
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「自分でもできる墓石クリーニング」
縁起が悪いなんてとんでもない。全くその逆です。
墓石クリーニングを自分でしたら、何故か回り合わせが良くなったということで、今ひそかなブームになりつつあります。
クリーニングで墓石が綺麗になるだけでなく、良い運まで引き寄せられたのではないかと言うのです。
自分で綺麗にするというところに大きな価値があります。
世の中には、大して努力をしているように見えないのに優雅に暮らしている人が少なからずいますが、その人にはツキがあるのです。
そういう何か見えない大いなる力は、確かにあるように思います。
それらは、一体どこのどんな力が働いてのことなのでしょう?
コンマパーセント以下の人が、本来誰もが持っている自分の内なる世界、潜在意識の偉大な存在に気づくのだとか・・・
ツキがないと言っている人は、えてして自分では何もしていません。
これだけ景気が悪いのに、何もしないでいるわけにはいきません。
春のお彼岸に、命日に、お墓参りをしてみて如何だったでしょう。
しなかった人は別として、墓石の汚れに気づいた方はチャンスです。
良くなるための何らかの知らせがインスピレーションとしてあったということです。
「自分でもできる墓石クリーニング」マニュアル」が、今なら3300円で
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